サモ・ハン・キンポーになれなくて

ホヤを捌いたり料理したり本を読むブログどすえ

ぐっちこと、山口綾香という女性を見ると一瞬で思春期に還らせてくれる。

友人たちから親しみを込めて呼ばれる名は“ぐっち”
本名は山口綾香。
志村貴子が描く娘の家出という漫画に登場するキャラの一人だ。

娘の家出という漫画は思春期で再婚した母。離婚して以来、「彼氏」と暮らす父。
そんな家族に囲まれて生活する高校生のまゆこはいま思春期の真っ只中。
まゆこの「家出」から始まった、さまざまな人生が交差する心に染むランナウェイ・ストーリー。
(公式引用:娘の家出/志村貴子 | ジャンプ改 公式サイト

オムニバス形式で進行されており、志村先生が描く優しく淡い絵柄の中には、どこか胸が抉られてしまう感覚に陥ってしまう。
今回はそんな作品の内容ではなく、一人の人物に注目したい。


第一印象は嫌いだった

ぐっちが登場したのは#5 わたしの青い鳥という話だった。
まゆこが友人に親が再婚することを打ち明ける所から始まる。

彼女が山口綾香。巷ではぐっちと呼ばれている。
チーム離婚というのは全員親が離婚をしている四人組。
構成員は主人公のまゆこ、ニーナ、きゃなこ、ぐっちだ。

見た瞬間に「あ、俺の嫌いな感じの奴だ」と思った。
生理的やそういった感情ではない。
容姿は全く違うが、放浪息子の佐々ちゃんを彷彿させるが、俺は一瞬で彼女を見抜いた。

なんとなく嫌い

そう思った。
理由は分からない。
悲しいことね、人間の心理ね。
リンカーンの取ってつけたようなガヤもなんとなく嫌いだし、ラジオのしょうもないコントやトシちゃんの言動もなんとなく嫌い。
なんとなく嫌いなものは沢山あり、ぐっちも“なんとなく”に該当していると思った。
もし、ぐっちの口元がお口アナルだったら、その理由はすぐに気付いたかもしれない。
あいつの口元がアナルみたいだから無理と言えばいいのだから。
だが、ぐっちの口はアナルでもなんでもなく、前歯が可愛らしい小動物のような女の子だった。
寧ろお口アナルはどちらかと言えば同じチーム離婚のニーナの方ではないかと思う。

言うほどでもなかった……というか、普通にニーナも可愛かった。


変化
第一印象は嫌いだったが、それはすぐに変化が起きた。
同じく#5 わたしの青い鳥という回での彼女の言葉を見て少しだけ変わり始めた。

「もーしょーがないなーきゃなこ離婚されたてだし、付き合ってやるよ――」

左のきゃなこが高尾山に行きたいと言った後の会話だ。
きゃなこは離婚をする前に家族で高尾山に行く計画を立てていたが、祖母のぎっくり腰や色々といざこざが起こっているうちに家族が離婚をしてしまい、家族で高尾山に登る夢は絶たれてしまった事を話すきゃなこを見兼ねて言った言葉だった。
素晴らしい。ぐっちは素晴らしい。
このコマの前に心情を吐露した後のきゃなこを見て、チーム離婚は少し間ができてしまうシーンがあり、その後のコマが上の画像。


ドラゴンボールの悟空みたいだ……」


このシーンを読んで思った率直な感想だ。
そもそもチーム離婚というチームを作ったのはぐっちだった。
最もぐっちが一人で命名し、チーム離婚と言っているのもぐっち一人である。
最初はそこまで仲が良くなかった四人。仲が良くなるきっかけは皮肉にも家族の離婚であった。
だからこそ、チーム離婚という仲良し四人組というグループを大切にしているのではないか。

このコマ以外にもぐっちが空気を読む場面がいくつも見かける。

まゆこが家出をしたという話から、お口アナルこと、ニーナもまゆこの言葉に便乗したシーン。
“自立”という言葉はよく思春期の子供が口にする。
だが、この子たちは境遇が境遇だけにやけに自立という言葉の背景が濃く浮かび上がっているような気がする。
そんなお口アナルこと、ニーナの言葉を聞いたあとのぐっちは

じゃ――しちゃう?ぷち家出
この後にきゃなこが高尾山に行きたいという言葉を吐く。
ぐっちの一言は、必ず三人を動かしているような気がしてならないと娘の家出1巻を読んで思うわけだ。


帰りたくねえ―――――

娘の家出のシーンでの名シーンの1文である。
高尾山を登っている最中の会話で家族の問題でお口アナルこと、ニーナが叫んだ言葉だった。
山なんかじゃ満たされないと声を上げて泣くシーンは1巻でも印象深い。

そんなお口アナルが登山中に泣く姿を見たぐっちは、思案顔の表情でニーナを見つめているのが分かる。
このぐっちという女性は、放浪息子でいう佐々ちゃんではないかと思う。

彼女も人一倍友達想いであり、天使である。彼女の事を悪く言う人はあまり見ない。
そんなぐっちも佐々ちゃんに近い何かを持っている気がする。

このように慰めるぐっちもやはり、ミューズでファルファタールなのだろう。
真面目な事を言った後に必ず何かを言うぐっちは、恐らく照れ隠しだろうか。
この時点で私がぐっちに抱いていた第一印象はすっかり忘れ去られていた。


父親に似なくて良かった。

娘の家出2巻では意外にも早く、ぐっちの家庭環境の話がフォーカスされる。
私はてっきり「ぐっちだから多分、親も円満離婚か何かだろう」そう思っていた。
ただ、思っていた以上にぐっちの家庭環境は闇が深かった。
端的に言うとぐっちの父親は芸能人で、ぐっちとぐっちの母親を置いて蒸発をしてしまった。
ちなみに父親というのは、バンドマンである。

念の為に言うが、ぐっちの父親とグッチ裕三には関係性は全くない。
恐らくモデルでもないだろう。
ただ、繋がりが“ぐっち”というだけで結びつける人もいるようだから簡単に否定をしたいと思う。

  • ぐっちの父親は“フミくん”と呼ばれ、グッチ裕三は“グッチさん”や“ハッチポッチの人”と言わている。
  • フミくんの音楽はロック・ミュージックであるが、グッチさんはブラックミュージック。
  • #9 クルクルミラクルを読むとぐっちのフミくんは自分勝手。

フミくんの音楽がロック・ミュージックだと思わせる描写がある。
それは彼が着ていた服にある。

NIRVANAです。Hello, hello, hello, how low〜。

恐らくカート・コバーンに憧れているのだろう。
NIRVANAのバンドTシャツを着ている人がシンフォニック・メタルなんて想像付かないし、そもそも日本でシンフォニック・メタルなんて売れる訳がないと思う。
週刊誌で報道されてしまう程の人物であるのなら、そこそこに売れていることが想像が付く。
週刊誌の見出しで薬物中毒疑惑があったと取り上げられている。恐らくフミくんはカート・コバーンの人間性もリスペクトしていたのだろうか。

また、グッチ裕三は音楽やモノマネだけではなく、料理が得意というのは有名な話だ。
一方でフミくんは料理をしている描写はないものの、勝手に蒸発をしたり、勝手な理由でぐっちの母親に別れてくれと土下座をする場面がある。
偏見で申し訳ないが、フミくんが料理が得意だろうとは私には思えない。
この時点でフミくん、グッチ裕三説は考えられないと思いたい。
話は逸れてしまったが、ぐっちはつくづく父親に似なくて良かったと思う。
幸い、父親がいる環境で育たなかったぐっちは、容姿や性格と共に母親似になったのは本当に良かったのではないだろうか。


ぐっちは思っていた以上に大人。

これは容姿とかの話ではなく、言動や行動、考え方に関しては、そこらの高校生よりも立派な大人なのではないかと思う。
父親がいなかった事で、プラスの方面に寄っているのではないか。
#9 クルクルミラクルでは、母親のめぐみやぐっちの回想シーンが出てくる。
母親は父親のフミくんと出会ってから、若気の至りのシーンまで描かれている。
一方でぐっちの回想は父親が居なくなってからの母親の言動についての回想だ。

その中でぐっちの言葉で大人だな、と思った箇所を見つけた。


当時小学3年生である。

この言葉は私は正論ではないかと思う。
いくらクズであっても、子供にはそのような事を言っては駄目だ。
やり場のない気持ちがあるのは分かるが、それを子にぶつけた所で何も得なんてしないと思う。
だが、母親を責めてしまうのも酷な話である。母親は何も悪いことをしていない。全ての元凶は父親にあり、その沸々と煮えたぎった蟠りを父親にぶつけてみたいが、そんな父親は蒸発をしてしまった。
ことあるごとに母親のめぐみが父親の事をクズ、クズというのを聞いて鬱陶しくなった時にぐっちが言った言葉には小学3年とは思えない重みが感じ取られていた。

また、まゆことぐっちの会話でまゆこが「ぐっちは、うちらん中でいちばん大人だから油断しそうになる」という発言もある。
本人は自覚はしていないようだが、やはりチーム離婚の中でも子供っぽいけど大人っぽいのは彼女の魅力の一つだろうか。

人を許すという行為は時と場合によっては人を殺すよりも難しいと思う。

この話の中でも最大のポイントが人を許すか許さないかだと思われる。
人が起こした出来事に対して、受け入れたり、自分が思っていた真逆の事を理解する事が必要であり、許すことは自分、つまりぐっちとぐっちの母親自身が変わらないといけない事だ。

「許さなくてもいいと思うんだよね。ぐっちも。ママも」

通話中にまゆがぐっちに言った言葉だ。
ぐっちの母親は自分やぐっちが捨てられた事が許せなかった。
一方でぐっちが物心が付く頃には父親が居なかった為に許す、許さない理由は分からない。
だが、ぐっちも母親と同じく許さないという選択肢を取った。

「大切な人たちを傷つけたあなたをわたしは多分一生許しません」
「せめてわたしだけでもクズとは呼ばずにあなたの事を忘れます。さようなら」

父親の事は知らない。母親やインターネット上ではクズ、クズと言われている父を見て、このような考えを思えるぐっちは凄い、そして忘れるという言葉に、ぐっちの大切な人への思いやりの心が見え隠れしているように見えた。
仮にインターネット上で見たやり取りを見て「クッソ……父親ムカつくわ!こんのクズ野郎!青い空見るわ!」みたいな事をぐっちが言っていたら、恐らく私は興が醒めていただろう。
最後までブレないぐっちに、私はただ驚きと感心するだけだ。

最初はムカつき、数頁捲った頃には可愛いと呟き、2巻を読み終えた頃には彼女に感心をしていた。
自分が同じ歳だった頃と当て嵌めると、ぐっちとの共通点は人間と黒い髪くらいしかない、そう思うとやっぱりぐっちになるのは中々難しい事だ。

あ、2巻の話では#11 17歳が一番好きです。